明智光秀ファンが今まさに三日天下を狙わんとするブログ

まずは明智光秀ファンからひとつだけ主張させてくれ!

「三日天下は正確には11日天下ですよ!」(だからなんだといわれても困るけど)

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あなたは三日天下を本気で三日間だったと思っていたりしませんか?
ちなみに、私は思ってました!(恥っ
その程度の明智光秀ファンが運営しております。いや、本当に申し訳ないm(__)m

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2007年1月21日

天海僧正(南光坊天海)について-その2

【研究】(4)

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天海僧正の正体について。諸説あるものをいくつかご紹介。


【光秀天海説】

 光秀ファンの夢とロマンがつまった願望。小栗巣で落ち武者狩りという最期なんて嫌だ!という思いが生んだ幻想か?
 天海僧正は108歳で没したという説が一般的ですが、135才とかいう恐ろしいギネスブック並みの説もある。光秀が本能寺時点で55歳だったとする(これもあまり定かではない)と、もし天海だったら116歳で没したことになる。いずれにしてもちょー長生きな爺さんだ。
 また、光秀が天海だったとして、家康がどの段階でこの事実を知ったか、という問題もあるだろう。

(案1)最初から知っていた
山崎敗戦後に光秀が叡山に隠れていた(山崎敗戦後に隠れるとしたらここだろうと思う)のを最初から知っていた。ほとぼりが冷めた(秀吉死後)ところで、召還し右腕とした。
(案2)そもそも最初から匿った
神君伊賀越えが後の捏造と仮定。もともと本能寺のときに光秀が京から逃がした。(光秀は本能寺攻めがもう少し激しい戦闘となると踏んでいた→妙覚寺の信忠がもうちょっと抵抗すると思っていた)光秀と家康の間になんらかの密約があって庇護した。
この場合、春日局は天海推挙である説が成り立つ。
(案3)春日局から引き合わされた
早乙女貢の小説でのストーリーw私の光秀天海説刷り込みはこれで行なわれたのでこの説ははずせない(笑)。山崎敗戦後隠遁生活に入った光秀。天海として歴史の表舞台への返り咲くというサクセスストーリー(?)は春日局が家光の乳母に応募するところから始まる壮大な計画のもとに実行されていたのである。…なんてね。

 光秀天海説は過去に、TV番組『世界ふしぎ発見』で筆跡鑑定の結果「別人」判定をされてしまい、夢は散ったかに思われたが、そんな無粋な事言わないで夢は見続けましょう!
 ちなみに『時空警察』(笑)では光秀天海説だった。


【秀満天海説】

 光秀天海説に否定的な一派(一派?)に押されて「そんじゃ、コイツじゃん?」と白羽の矢が当たった(?)のが秀満。
 秀満についても正体(出自)が不明なので、定かではないが、天海光秀説で不自然な化け物のような(言いすぎ)長生きだった年齢のことはクリアできる。さらに、「秀満」が「光春」と混同したりされている不自然さももしかすると説明できるかもしれない。(注;私は高柳光寿説を押しているので「左馬介光春」→改名→「弥平次秀満」ではなく「三宅弥平次」→改名→「明智秀満」だと思っている。「光春」は別の人だよ、きっと!←根拠なし
 ただ、この秀満説が弱いのは…家康と秀満の関係、家康が秀満をどこまで信用したか、ということにかかっていると思う。光秀の威光があったとしても、秀満がものすごく実力ある武将だったにしても、家康はリスクを背負うだろうか?秀満を庇護することは、光秀を庇護した、とは別の種類のリスクを背負い込むことにならいないだろうか?家康はソレほどまでに明智家に対して何らかの負い目のようなものを持っていたのだろうか?
 謎すぎる。


【十五郎天海説】

天海という人物は実は一人でなく親子二代に渡って演じられたという説がある。(長生きだから)蝮の道三が一代で美濃を制したんじゃなくて二代に渡って美濃を制したんだという説に似ている(?)
ということで、ここで言う十五郎くんは光秀の長男(たぶん)。
かの信長びいきで光秀嫌い(?)のフロイス。そのフロイスに「貴族のようだ」と言わせたほどの美男子?であるところの十五郎くんが光秀とともに二代に渡って天海を演じたというのはちょっとステキ。
でも長男は阪本城で自害しないかな〜?(そんなこと言ったら秀満だって自害しろ、って感じですが)二男の乙寿丸くんという手もある。


【斉藤利三天海説】

 実際はそんな説を唱えている人がいるかどうか知りません。もしかするとどこかの歴史学者が研究してるかもしれない。だけど、私が個人的に言ってるだけです。
 だって、光秀が天海だと言われる理由のひとつの“春日局”。よく考えたら光秀関係ないジャン?いくら親しくしていたとはいえ、部下の娘の一人でしょ?(光秀が部下の家族を心配するほどのいい上司だったという証拠と言える書面がのこっているけど、今はそれを無視。)関係ないってばよ!関係があるとすればお父さんである斉藤利三の方が怪しい!
 そうじゃなくても私はこの斎藤利三を疑っているんですよ!この人が本能寺から何から全ての鍵を握っているに違いない!


【天野源右衛門説】

…ごめんなさい、私もよく知らないんですけど(苦笑)この人何者ですか?
いろんな光秀小説にちょこちょこ結構な頻度で名前が…。
でも、良く知らないんです(^_^;)誰かの創作キャラですか?それとも実在した人ですか?
誰か教えてください。(なんという手抜き)


【天海光秀おたく説】←これも私が作った説(笑)

 実はこの天海って人、明智光秀ファンだったんだよ!

「すげーよ、光秀ってさ、謀反とかしちゃってヒールっての?ってか、チョー凄くねぇ?」

とか思ってて、大好きだったんだよ、きっと!(え?)

 で、徳川側の戦略として「対豊臣」を印象付けるのに、『家康のそばにいるのって、もしかして光秀なんじゃねぇ?』って噂が立つのは有効である、と踏んだに違いない。

「光秀じゃないかって噂されてる?!言わせとけ!むしろ、どんどん言え!」

 だから、その噂を利用するためにあれこれ怪しい動きをしたんじゃなかろうか?!
わざと誤解されそうな行動とったり、出自をあまり語らなかったのも、光秀になりすまそうとしていた、とかさ。
 それでもって、明智軍記を書かせたのも、きっとこの人だって!!
 「なんか、適当にすごいこと書いておけばいいよ」みたいな。

 …根拠はないけどね!




その他光秀天海説に類似する光秀生存説

・光秀利久説
 光秀は山崎合戦のあと実は“千利休”として生きていたという説。
どこかの本能寺考察本に載っていたのだが、どの本だったか失念。後で探しておきます。
はっきり言って天海説よりはるかに眉唾物なのですが、それなりの理由もある。

懇意にしていた千利休と秀吉の関係がいきなりくずれたのはなぜか?

秀吉が「実は利久が光秀」だと気が付いたからではないのか。
もしくは秀吉が本能寺の黒幕であった場合、山崎の合戦後光秀を保護、千利休としてかくまい、政治戦略上利用したが、天下の形勢が安定してきて邪魔になったのでは?
こじつければいろいろ想像できて楽しい!

個人的にはこっちの方が天海説よりありそうな気がする。






以上、諸説列挙しておいて最後に個人的意見。

そりゃ光秀ファンなので光秀天海説は大好物♪
せっかく天下人になったっていうのに、小栗栖でさようなら〜なのは寂しすぎる!生きていて欲しいと思うのがファンてものでしょう。
何と言っても…せめて坂本城にて最期を迎えてほしかったのです。(T_T)

 
 

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2007年1月15日

天海僧正(南光坊天海)について-その1

【研究】(4)

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 南光坊天海(1536年 - 1643)
 徳川家康のブレーンとして徳川政権の立ち上げと初期の運営に深く関わった人物。この人が実は“明智光秀ではないのか?”と噂されている。“義経ジンギスカン説”に似た半官びいきの壮大なドリームだと推察される。

 その理由(含む光秀生存説)
 ・天海の出自が謎
 ・徳川政権で台頭した春日局の存在
 ・日光東照宮におけるさまざまな暗号
 ・徳川家康の光秀びいき
 ・光秀の死後に奉納された灯籠
 などなど、もっともらしい理由が多々上げられています。

《天海の出自が不明》
 天海が徳川家康のブレーンとして活躍する以前何をしていたのかがわからない。忽然と歴史の表舞台に出てきて重職を担っているのだから勘ぐられるのもうなずける。
 天海僧正として登場する以前に“明智光秀”だったなら家康がすぐさま重用しちゃうのもアリかも?でも、いきなり登用されてすぐに出世する人なんて下克上のこの時代、いくらでもいたんじゃない?
 それに、光秀が天海だと仮定した場合天海僧正はものすごーく長生きしたことになり、あまりに長命過ぎないかとの疑問が残る。但し、この光秀様の年齢の根拠自体が結構疑わしい。矛盾の多い“明智軍記”を元に算出された年齢であるので、実は光秀様はもっと若かったのでは?とか思ったりもする。

《春日局の存在》
 謀反人である明智光秀一族の重臣“斎藤利三”の娘である於福、後の春日局の徳川政権内において出世ぶりと天海僧正の関係が怪しいと言われている。将軍家のお世継ぎである家光の乳母に裏切り者一族の娘をわざわざ選んだのはなぜか。また於福の徳川政権内での台頭振りの影に天海僧正が絡んでいないのか。などなど深読みするといろいろ疑惑は出てくるのですが、実は勘ぐり過ぎなのでは?
 将軍家の世継ぎって言うけど、あの頃まだ長子相続確立してなかったんじゃないっけ?(あんまり詳しくないのですが)謀反人その人、光秀の娘ってならいざしらず、いち家臣の三女。いいじゃん別に。身元もはっきりしてるんだしさ。
 徳川政権で異例の出世って言うけど、乳母を気に入っちゃってひいきしちゃう将軍がいてもいいじゃん。
 乳母の身分で家康に直訴したっていいじゃん。乳母も将軍をひいきしたいよ、きっと。
 家康が言うこと聞いたのだって、於福のお願いだから聞いた訳じゃなくて御家騒動を避けたいから分かりやすく長子相続に決めただけかもよ?

 …なんか、光秀天海説を肯定したいんだか否定したいんだかわかんなくなってきたよ。

《日光東照宮の暗号》
 天海僧正は風水をもって江戸の町の基礎を作ったと言われています。平安京や平城京も風水の考え方で作られたことで有名です。あちらはもともとあった土地の利をうまく応用して作ったもの。言わば天然モノ。ところが、江戸の町は完全に人工。そりゃ、多少は地の利を生かしてはいますが、京の規模じゃない壮大な応用の仕方。さらに湾の埋め立てなど大規模な潅漑工事も実施。かなり無理して気を封じ込めたようです。すべての気が渦を巻いて江戸城に集まるようにしていたとか。その締めくくりが東照大権現(徳川家康)の菩提寺として建立された日光東照宮です。東を照らすって、いいネーミングだね!
 さてその日光東照宮、徳川の葵の御紋に混じってところどころに桔梗の意匠が施されています。そう、桔梗と言えば明智光秀の家紋ジャン!これは……。でも待てよ、桔梗紋なんて普通にあるジャン、光秀でなくとも。それに光秀の使っている桔梗と違くない?天海僧正が陰陽道を利用しているならこの桔梗紋は五亡星(=セーマン、晴明桔梗)のほうをイメージしないか?
 その他にも“かごめかごめ”の唄に暗号が隠されているとか、天海僧正が名付けたと言われる明智平の地名とか。だが所詮どれも推測に過ぎない。

…そして、光秀天海説を肯定したいんだか否定したいんだかわかんなくなってきたよ。

《家康の光秀びいき》
 一般的に“知将”として有名な明智光秀ですが、実は武勇に長けた“猛将”だったという話もある。
 謀反人である光秀の名“日向守”の名を賜った徳川家の水野某さんに家康が光秀所有だった朱槍を下賜した家康。その時に「日向守の名に恥じぬよう」とか「見習って」見たいな意味の言葉を言ったとか言わないとか。見習えって、まさか謀反しろッてことではないでしょう?
 また、関が原の合戦図に描かれる天海僧正の姿が僧兵としてではなく勇猛な武者姿で描かれているところ天海が単なる僧侶ではなく武人出身ではないかとの憶測を呼ぶ。だからとて、光秀かどうかは別問題だ!

…さらに、光秀天海説を肯定したいんだか否定したいんだかわかんなくなってきたよ。


《願主光秀の灯籠》
 光秀の死後に奉納された願主光秀と記された灯籠が残っている。これがあるために光秀は山崎合戦後落ち延びていた!という証拠とされる。でも待てよ、名前を記して奉納って他人でも別にできるジャン?死後数年なんて知り合いだって生きてるだろうし、故人を偲んで奉納ぐらいするかもよ?
 さらには、天海説とは異なるが実は“関が原”に参戦していたらしいとかいう話もあったり。どうもまゆツバっぽいけど。

……で、私は本当に天海ドリームを信じているのかよく分からなくなってきた!(笑)

次回、天海説いろいろに続く!

 
 

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2006年10月19日

明智光秀の基礎知識【本能寺の変】

【研究】(4)-【研究】(3)

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 西暦1582年6月21日(天正10年6月2日)日本史上最大(?)の謎。明智光秀がなぜ謀叛に至ったかその理由について様々な議論がなされているが、決定的な証拠が出てこないのでタイムマシンが実用化されるまで結論はでないと思われる。
…が、みんな議論ばっかりしてないで素直に明智光秀の天下人への野心ってことでいいんじゃないの?と、個人的には思う。だめ?(^_^;)

≪諸説いろいろ≫

【野心説】
 時はまさに信長の天下一歩手前。ここまでくれば信長を倒せばそのまま天下が手に入るという状況にあった。そんな時に信長の一番近くにいた光秀。
家臣団の中における地位的にも地理的にも、たまたま「もしかして今ってオレしかいない?」
のんびり寺なんぞでろくな警備もつけずに茶会開いちゃって浮かれちゃってる油断しすぎの信長をみて「それなら自分が…」なんて思っちゃったりすることもあるかもね?

これはまさにライフカードのオダギリジョー状態。(笑)

手勢1万3000で丹波亀山城を出陣、途中京へ続く途上の桂川近辺にて千利休か里村紹巴か、近衛前久かはたまた吉田兼和あたりと遭遇。
出されたカードは3枚

『忠誠』 『謀叛』 『隠居』

「どうすんの?どうすんの、オレ?」
さて、どうする?

 このように(?!)野心があったとしても計画的とはいえない犯行であることが想像できる。なんというか光秀には天下統一後のビジョンがない気がするんですよね。年齢的にも当時の平均年齢から考えるともう引退していい年齢だし。

【怨恨説】
 最も戯作・講談の類で多く用いられる説で非常に疑わしい。
信長に打擲(ちょうちゃく)されたから?
 →今流行のパワハラ(パワーハラスメント)ってやつですか?
酒が飲めないから?
 →飲めないのはお前の方だろう>信長
濃姫に懸想してたから?
 →昼メロかよ?!
嫁さんに手をだされたから?
 →昼メロかよ?!パート2
人質に出した母(義母らしいが)の恨み?
 →人情に訴えてみたのね?
 まぁ実際のところどうなのかは分かりませんが、どれもいまいち。仮に全部複合だったとしても「弑し奉る」理由としてはしっくりこない気がする。というより、その程度で怒りに任せて暴挙に出る小物っぽい人物であって欲しくないという願望か…。仮にも家臣の身分とはいえ一国一城の主となった男のすることではない気が。あぁ、でも殿中でござるの大名みたいな例もあるな。うむ、実際のところは良く分からない!

【保身説】
 当時の織田家には“リストラの嵐”が吹き荒れていた。長年織田家の重臣として仕えてきた佐久間信盛が高野山に追放。さらりには同じく古参の重臣林秀貞まで追放。これらは恐らく信長の天下統一後を見据えた信長政権の体制作りの一環であっただろうと思われる。
 しかし家臣団からしてみれば信長は独裁的であったし、たいした理由もなく(?)リストラ対象とされて追放される重臣たちを見て『明日はわが身』とドキドキしていたに違いない。当時光秀はかなりの好評価を受けていたものの実は丹波平定に思ったよりてこずったりしていた。この辺で焦りがなかったとはいえないと思う。
 さらに、本能寺の変直前に光秀の領地丹波を召し上げまだ敵の領地だった出雲国・石見国に鞍替え。…実質領地なくなっちゃったんですけど?ここで光秀様が超ポジティブシンキングの持ち主だったら「敵から奪ったら好きなだけもらえるんだ♪やったー♪」とか思ったかもしれないですが、リストラの嵐の中そんなこと思えるわけないって。
 ただ、佐久間信盛のリストラ事件の裏に明智光秀の讒言あり、なんて説(『寛政重修諸家譜』とかね)もあるので謎は深まるばかりである。(^_^;)

【心中説】
 あえて“心中”なんて言葉を使いましたが「暴走する信長様をお諌めしなくては」という忠誠心が発端。光秀ほどの軍略家(←光秀が優秀だったかどうかの判定も良く考えると実は難しいところがあるのですが…)が本能寺の変後処理のなんともマヌケな不手際っぷり。これでは「思い余ってつい突発的に」感が否めない。そうすると心中って表現もありかな?って。信長を弑した後、どうしていいか分からなくなった光秀。だってそれまですべては信長の命令もしくは信長の天下のために行動していたので行動原理であった信長の存在がなくなれば虚無感に襲われるのも不思議はない。どうしようか悩んでいる間に秀吉が中国から『信長様の仇!』って迫ってくるし。「謀反人」のレッテルを貼られたらそのまま「謀反人」として重荷を背負って破滅へ向かいそうだ。

【朝廷黒幕説】
 あらかじめ光秀が朝廷と共謀して信長を排除したという説。信長の暴政に危機感を感じた朝廷が現状打開のために白羽の矢を立てたのが光秀。親朝廷派であり、織田家臣団のなかでは一番扱いやすいと思われたか。
 個人的には朝廷からの提案というよりは、光秀が勝手に暴走したんじゃないか?と推察。「信長をこのまま放っておいたら天皇を廃しかねない!」とか言い出して朝廷を説得“確約”を強引に取得。ところが事後日和見の朝廷に翻弄される光秀。「あぁこんなはずじゃなかったのに…」っていう感じ。

【バテレン黒幕説】
 「天下統一後は海外進出じゃ!」と信長が思っていたかどうかは定かではないですが、それを心配した宣教師たちが先手を打ったという一説。信長の首級を見つけられなかったのは思った以上に本能寺炎上が激しかったから。寺がそんなに燃えるかい!って所を考えると(一説では前日雨だったとか。そうでなくても時期は梅雨だしそれほど乾燥はしてなかったんじゃないのか?ってとこで)本能寺に爆薬仕掛けてあったんじゃないの?っていう過激な説。

【濃姫黒幕説】
 八切止夫氏の提唱する説。『濃姫が鬼嫁だったなら』これはありだ(笑)。八切小説を読んでいるとあらゆることにつじつまがあっている気がしてきてならないから不思議だ。戦国時代における女性の役割ってものがあまりはっきりしないので余計にありそうな気がするのね。

【秀吉黒幕説】
 秀吉の中国大返しがあまりに見事すぎて前もって光秀謀叛の情報を持っていたんじゃないかという説。
 諸説ある本能寺の変に光秀以外の黒幕がいた説の中で最近よく取り上げられる説。推理小説でも“一番得をする奴が犯人だ”とかよく言われるしね。(^_^;)

【家康黒幕説】
 家康の神君伊賀越えがあまりに見事すぎて前もって光秀謀叛の情報を持っていたんじゃないとという説。
 家康には信長を恨むべき理由もある。無茶な命令ばっかりされるし。
 なんらかの情報を掴んでいた可能性はあるが、やっぱり秀吉黒幕説よりぜんぜん弱い。

【斉藤利三謀叛説】
 これまた八切止夫説のひとつ。
 最近八切説を知った私としては現在これが一番面白いと思っている。果たして斉藤利三は本当に光秀の一配下武将だったのか?というところが問題。もしも信長直参の将だったとしたら?この説についてはもう少し自分で納得してから改めてまとめたいなぁと思っている。

 
 

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2006年9月17日

ちょっとは真面目に研究する「明智光秀」

【研究】(4)

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現在準備中です。
主に高柳光寿氏の人物叢書明智光秀と八切止夫氏の著書を元に考察します。

 
 

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