明智光秀ファンが今まさに三日天下を狙わんとするブログ

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あなたは三日天下を本気で三日間だったと思っていたりしませんか?
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2006年10月19日

明智光秀の基礎知識【本能寺の変】

【研究】

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 西暦1582年6月21日(天正10年6月2日)日本史上最大(?)の謎。明智光秀がなぜ謀叛に至ったかその理由について様々な議論がなされているが、決定的な証拠が出てこないのでタイムマシンが実用化されるまで結論はでないと思われる。
…が、みんな議論ばっかりしてないで素直に明智光秀の天下人への野心ってことでいいんじゃないの?と、個人的には思う。だめ?(^_^;)

≪諸説いろいろ≫

【野心説】
 時はまさに信長の天下一歩手前。ここまでくれば信長を倒せばそのまま天下が手に入るという状況にあった。そんな時に信長の一番近くにいた光秀。
家臣団の中における地位的にも地理的にも、たまたま「もしかして今ってオレしかいない?」
のんびり寺なんぞでろくな警備もつけずに茶会開いちゃって浮かれちゃってる油断しすぎの信長をみて「それなら自分が…」なんて思っちゃったりすることもあるかもね?

これはまさにライフカードのオダギリジョー状態。(笑)

手勢1万3000で丹波亀山城を出陣、途中京へ続く途上の桂川近辺にて千利休か里村紹巴か、近衛前久かはたまた吉田兼和あたりと遭遇。
出されたカードは3枚

『忠誠』 『謀叛』 『隠居』

「どうすんの?どうすんの、オレ?」
さて、どうする?

 このように(?!)野心があったとしても計画的とはいえない犯行であることが想像できる。なんというか光秀には天下統一後のビジョンがない気がするんですよね。年齢的にも当時の平均年齢から考えるともう引退していい年齢だし。

【怨恨説】
 最も戯作・講談の類で多く用いられる説で非常に疑わしい。
信長に打擲(ちょうちゃく)されたから?
 →今流行のパワハラ(パワーハラスメント)ってやつですか?
酒が飲めないから?
 →飲めないのはお前の方だろう>信長
濃姫に懸想してたから?
 →昼メロかよ?!
嫁さんに手をだされたから?
 →昼メロかよ?!パート2
人質に出した母(義母らしいが)の恨み?
 →人情に訴えてみたのね?
 まぁ実際のところどうなのかは分かりませんが、どれもいまいち。仮に全部複合だったとしても「弑し奉る」理由としてはしっくりこない気がする。というより、その程度で怒りに任せて暴挙に出る小物っぽい人物であって欲しくないという願望か…。仮にも家臣の身分とはいえ一国一城の主となった男のすることではない気が。あぁ、でも殿中でござるの大名みたいな例もあるな。うむ、実際のところは良く分からない!

【保身説】
 当時の織田家には“リストラの嵐”が吹き荒れていた。長年織田家の重臣として仕えてきた佐久間信盛が高野山に追放。さらりには同じく古参の重臣林秀貞まで追放。これらは恐らく信長の天下統一後を見据えた信長政権の体制作りの一環であっただろうと思われる。
 しかし家臣団からしてみれば信長は独裁的であったし、たいした理由もなく(?)リストラ対象とされて追放される重臣たちを見て『明日はわが身』とドキドキしていたに違いない。当時光秀はかなりの好評価を受けていたものの実は丹波平定に思ったよりてこずったりしていた。この辺で焦りがなかったとはいえないと思う。
 さらに、本能寺の変直前に光秀の領地丹波を召し上げまだ敵の領地だった出雲国・石見国に鞍替え。…実質領地なくなっちゃったんですけど?ここで光秀様が超ポジティブシンキングの持ち主だったら「敵から奪ったら好きなだけもらえるんだ♪やったー♪」とか思ったかもしれないですが、リストラの嵐の中そんなこと思えるわけないって。
 ただ、佐久間信盛のリストラ事件の裏に明智光秀の讒言あり、なんて説(『寛政重修諸家譜』とかね)もあるので謎は深まるばかりである。(^_^;)

【心中説】
 あえて“心中”なんて言葉を使いましたが「暴走する信長様をお諌めしなくては」という忠誠心が発端。光秀ほどの軍略家(←光秀が優秀だったかどうかの判定も良く考えると実は難しいところがあるのですが…)が本能寺の変後処理のなんともマヌケな不手際っぷり。これでは「思い余ってつい突発的に」感が否めない。そうすると心中って表現もありかな?って。信長を弑した後、どうしていいか分からなくなった光秀。だってそれまですべては信長の命令もしくは信長の天下のために行動していたので行動原理であった信長の存在がなくなれば虚無感に襲われるのも不思議はない。どうしようか悩んでいる間に秀吉が中国から『信長様の仇!』って迫ってくるし。「謀反人」のレッテルを貼られたらそのまま「謀反人」として重荷を背負って破滅へ向かいそうだ。

【朝廷黒幕説】
 あらかじめ光秀が朝廷と共謀して信長を排除したという説。信長の暴政に危機感を感じた朝廷が現状打開のために白羽の矢を立てたのが光秀。親朝廷派であり、織田家臣団のなかでは一番扱いやすいと思われたか。
 個人的には朝廷からの提案というよりは、光秀が勝手に暴走したんじゃないか?と推察。「信長をこのまま放っておいたら天皇を廃しかねない!」とか言い出して朝廷を説得“確約”を強引に取得。ところが事後日和見の朝廷に翻弄される光秀。「あぁこんなはずじゃなかったのに…」っていう感じ。

【バテレン黒幕説】
 「天下統一後は海外進出じゃ!」と信長が思っていたかどうかは定かではないですが、それを心配した宣教師たちが先手を打ったという一説。信長の首級を見つけられなかったのは思った以上に本能寺炎上が激しかったから。寺がそんなに燃えるかい!って所を考えると(一説では前日雨だったとか。そうでなくても時期は梅雨だしそれほど乾燥はしてなかったんじゃないのか?ってとこで)本能寺に爆薬仕掛けてあったんじゃないの?っていう過激な説。

【濃姫黒幕説】
 八切止夫氏の提唱する説。『濃姫が鬼嫁だったなら』これはありだ(笑)。八切小説を読んでいるとあらゆることにつじつまがあっている気がしてきてならないから不思議だ。戦国時代における女性の役割ってものがあまりはっきりしないので余計にありそうな気がするのね。

【秀吉黒幕説】
 秀吉の中国大返しがあまりに見事すぎて前もって光秀謀叛の情報を持っていたんじゃないかという説。
 諸説ある本能寺の変に光秀以外の黒幕がいた説の中で最近よく取り上げられる説。推理小説でも“一番得をする奴が犯人だ”とかよく言われるしね。(^_^;)

【家康黒幕説】
 家康の神君伊賀越えがあまりに見事すぎて前もって光秀謀叛の情報を持っていたんじゃないとという説。
 家康には信長を恨むべき理由もある。無茶な命令ばっかりされるし。
 なんらかの情報を掴んでいた可能性はあるが、やっぱり秀吉黒幕説よりぜんぜん弱い。

【斉藤利三謀叛説】
 これまた八切止夫説のひとつ。
 最近八切説を知った私としては現在これが一番面白いと思っている。果たして斉藤利三は本当に光秀の一配下武将だったのか?というところが問題。もしも信長直参の将だったとしたら?この説についてはもう少し自分で納得してから改めてまとめたいなぁと思っている。

 
 

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こんにちは。はじめまして。
私も明智光秀には関心がありまして、
本能寺の変は、信忠がイエズス会にそそのかされて
引き起こした、との考えに至りました。
さらに光秀は家康になったのでは、とまで広げて
しまいました。
日光の桔梗紋が気になっておりましたので。
ブログを読んでいただければと思います。

メゾフォルテ様、はじめまして!

信忠が犯人!それはすごい説ですね。
ナルほど、確かに本能寺当日の信忠の動きも奇妙ですもんね。光秀もなぜ逃がしちゃったのか、と思うところもありますし。
どうも宣教師の人たちがからんでくると謎な事が多くてますますわからなくなりますね〜。怪しいです〜!!
さらに家康が影武者だ、とか入れ替わっている説は良く聞きますが、それが光秀とは!
なんかもう秀吉も家康も光秀も朝廷も宣教師もみんなグルなんじゃないかと思っちゃいますよね(*^_^*)。考えれば考えるほど本能寺の変って不思議です!
そして、どんなかたちでもいいので光秀様には小栗栖で死んじゃったりしないで生き残っていて欲しいとつい思ってしまいます。

コメントありがとうございました!
メゾフォルテ様のブログも読ませて頂きました!面白い考察が載っていて大変興味深かったです!!
またぜひコメントしてくださいね!

はじめまして。ほろ酔いです。無礼があれば、正月と言うことでご容赦を。
保身+焦りでは無いかと・・・・。
天下が統一したら、自分の立場はどうなるか。光秀、家康、秀吉は、やっぱりちょっと怖かったと思います。秀吉は0から始めて、大抜擢であそこまで行きましたから「その時はその時。なるようになる。」ってわりと気楽に思えたかも知れないですね。家康は、まあ、結構短気だから(ホトトギスを殺しそうなのは家康だと思っています。私は。)「その時はその時。一戦交えてなるようになる。」って腹をくくっていたような気がします。光秀は自分の地位が惜しかった。「なるようになる」って思えなかったんじゃ無いかなあ。
荒木村重の例を見ても、教養(室町の)が有る人物が謀反してますねえ。まあ、秀吉や勝家はお世辞にも教養とは遠い感じがします。人生感というか世界感が信長とは合わなかったのかもしれません。ポリシーはナンボでも変えられますが、イデオロギーはなかなか変えられないでしょう?
何にしても「時は今・・・」なんて間の抜けた句を、普通なら光秀が謀反の前に詠んだなんて私には思えないです。「アレは曲解で、当時あの句では謀反の決意表明にはならない。」とかおっしゃる「句に詳しい方」もいらっしゃいますが、「曲解だろうが何だろうが、疑われたらオシマイ」ですから余計なことはしないほうが良いでしょう。それでも、それ(本物と仮定して)を詠ってしまった光秀に焦り以上のものを感じます。
全然まとまりませんね。今日はダメだぁ。と言うことで・・。
失礼します。

choro様

こちらにもコメントありがとうございます!
なるほど〜保身説ですか…
でも状況を考えると一番しっくりきますね、やはり。しかし、そうした時、「信長を討つと戦国の世が長引く」とは考えなかったのだろうか、と思ってしまいます。
秀吉や、家康との立場の違いというのもかなり重要なファクターではあったでしょうね…。
私が個人的に謀反の理由を考える時、どうしても光秀の“キャラクター”に問題があるように思えて仕方ないのです。
今言われているような知者、知識人、仁者のイメージでいるとどうも本能寺の突発的と思える謀反の状況と事後処理の不手際振りが解せないんですよね。(突発的だからこその不手際なんだろうけど)
一方猛将だったって説もあり、そっちを想定すると、本能寺の変は自分として納得出来るのです。荒木村重っぽい感じで(笑)ただ、それでは治世が上手かった分部はどうなるのか。とも思うんですが…。
私が聞きかじった知識では、明智光秀と言う人は戦中戦後は裏切り者、謀反人として語られ、その後見直されて今の知識人としてのイメージが定着したようですが、その礎ってもしかして司馬遼太郎が作ったのでしょうか?(金柑頭と一緒で(笑))だとしたら、小説の力ってすごいですね!
そのうち研究が進んだりして、なにか重要な歴史史料が出てきて本能寺の全貌が解明されるといいな、と思っています。
またご意見聞かせてくだされ〜!!

ご返事いただいてありがとうございます。それほどの知識もなく、大層なことを言う資格は無いのですが、まあ、承知の上で、薄学を曝け出します。

>信長を討つと乱世が長引く
とは、そこまで考えなかった気がします。状況から判断して信忠も逃げようと思えば逃げられた可能性がある。状況判断のミスで二条城に立てこもった訳ですから、光秀が信長、信忠をまとめて屠ることが出来たのは偶然と言っても過言ではないでしょう。
細川を初め光秀派の武将たちが光秀に付かなかったのも、そのあたりの「行き当たりばったり的結果オーライ」な行動にイマイチ乗ることが出来なかったのではないでしょうか?
秀吉は47歳、家康は42歳。光秀は54歳とも56歳とも言われています。当時の感覚から言えば「もう、戦は勘弁してくれ!」って言う気持ちと、天下平定後の保障、つまり「老後の保障」が見えない事に追い詰められて行ったような気がします。40歳から身を起こし、15年で作り上げたものを失う恐怖心が光秀の中で異常に膨らんだように思えてなりません。
信長の行動スケジュールがほぼ決っていくのは行動の15日ほど前でしょう。とすれば「謀反の兆し」はともかく「本能寺」のプロジェクトは5月15日以降の光秀の企画です。謀反は基本的に直前まで他人には話せない。発覚したらおしまいですから。「うまく行ったら、ボクに味方してね。」なんて事前に細川君には言えないですね。極めて短距離的視野で行動を起こしている気がします。その辺りも含めてまあ、彼のことを身近に感じます。

信長、秀吉、家康、光秀。司馬遼太郎が居たから、我々日本人に広く知れ渡ったと思うし、彼が居たから、誤って伝わった部分も多いですね。でも国盗り物語は基本ですね。好きですよ。

choro様

私は最近八切止夫さんの小説を読んで、八切止夫の「明智光秀冤罪」説の破天荒なところはそれはそれとして(笑)、八切止夫版明智光秀像って結構ありそうな気がしてるんですよ。
八切止夫版明智光秀って、それほど優秀な傑出した人物でなく、凡庸な人物で、周囲に巻き込まれるままに出世したような感じなんです。
そう思うといろいろ納得いくところがあるんですよね〜。
「本能寺」プロジェクト5月15日というと徳川接待のあたりでしたっけ?
天正10年(の少し以前から)の信長の光秀へのこき使いっぷりは結構すごいものがあるので(織田軍団でたまたま手の開いてるのが光秀だけだったというのもあると思いますが)光秀様、過労で可笑しくなってしまったんでしょうか、とか思ってしまいますね。
あの、燃え尽き症候群とか?(よく知らないんですが)
光秀の心理っていうものをもっとよく研究してみたいですね〜。
「本能寺の変」の謎は本当に研究テーマとして面白いですね!

つみれ様

八切氏の小説は読んでいません(読もうとして挫折しました。)が凡庸な人物と言うのは、有りそうですね。とは言え信長軍団の中で一番の出世頭ですから、「凡庸だけで、のし上がっていくのはちょっとしんどいかな。」とも思います。

5月15日ごろ。信長が中国行きを具体的に考えたのは、たぶんこのころでしょう。ただし正確に「いつ出発する」までは決めていない。朝廷との議題もありましたからね。信長は思いついたら即動く人ですから、「まあ、だいたい6月に入ってから、気が向いたら即動くぞ!」ってその程度の予定だったと思うのです。だから光秀も6月1、2日の空白はまだ正確には読めません。それでも接待役だった光秀には、5月下旬から6月の初旬に信長が、比較的少人数で上洛する可能性を認識できたと思います。
光秀の中に「謀反実行」の文字が浮かんだのはこのときでは無いでしょうか。彼の人柄や置かれている状況からプレッシャーに耐えられなかった彼は、客観的な状況判断ができなくなっていたような気がします。
なんにしても、本能寺は桶狭間、長篠と並ぶ戦国末期最大のなぞですね。

choro様こんばんは!

>比較的少人数で上洛する可能性を認識
この辺が謎を解く鍵かもしれませんね。いったい誰が信長の警備が手薄な隙をリークしたのか、とか。

去年テレ東の歴史特番でやっていた信長が光秀に「朝廷にクーデター起こすから中国に出陣する振りして京に来て合流せよ」と命令していたんだ、という説。ソレを聞いて信長の「油断しすぎ」の理由は納得できた感じがして、面白い説だな、と思いました。

>八切氏の小説は読んでいません
読まないほうがいいです(笑)混乱しますよ〜(笑)

つみれ様

光秀の心理分析や「謀反」の謎は、思い巡らすと本当に楽しいですね。そもそも信長には親衛隊のような馬回衆がいて、天正10年の上洛でも、「信長とともに2000人の親衛隊が上洛していた。」という資料も有るようです。信長の行動には1000〜2000人近い護衛が、直近とまでは言えなくても3〜5km以内に随行しているのが「普通」の事であったようです。
つまり信長にとっての「少人数」は、小姓衆以外にも1000〜2000の親衛隊を連れていることになります。もし居たのなら、なぜ「本能寺」のイベント時にその2000人の親衛隊が機能しなかったのか、それも不思議でなりません。
それよりも、何よりも、私の中の最大の謎は「当時の信長が(つまり方面軍団のシステムを用いていた信長が)その方面軍の中に、表立った与力ではなく、信長直属のスパイを配属していなかったのか?」と言うことです。表立った情報は当然信長の耳に届くでしょう。それでも信長の性格からして(って私は彼の友達では有りませんが(笑))直属の情報網を張り巡らせていたと思うのです。家康の軍はともかく、柴田、光秀、秀吉の軍なら比較的上層部に、いくらでも諜者を送り込めたでしょう。だから光秀の軍にもいたと思うのです。信長ならきっとそうしたと思えるのです。
もしそうした諜者がいたとして、なぜ光秀の動きが信長に届かなかったのか?諜者の存在を光秀が認識し、先手を打ったのか?その辺りの水面下の動きに興味があります。いかに400年以上前とは言え15000人の軍勢が動いていることを、隠すことは困難でしょう。自軍内の情報操作はともかく、「他人の目」を潜り抜けて本能寺までたどり着くのは「幸運に頼らざるを得ない」と思います。結果的にたどり着いた訳ですが、そこにもちょっと「行き当たりばったり的」な光秀の「普通では無い」思考が感じられます。
「光秀は、きっと疲れてたんだなあ。」と、そんなふうに感じてなりません。

ナルほど、スパイ!信長ならば、それはありそうですね。
どうでしょう、それ、斉藤利三というのは!
以下は半分八切説が混じっているのですが…。
斉藤利三のヘッドハンティング騒動がどうも逸話くさい、というところから疑ってみて、実は斉藤利三って光秀の配下武将ではなく、与力扱いだったとします。
与力の立場なら細川家と同じように信頼関係はあるものの、同じ織田家家臣として互いに協力しつつも監視するシステムが出来ていたのではないでしょうか?
そうした場合に、長曾我部と斎藤利三の関係から、利三が信長を裏切ることを選択。特に信長に報告することなく光秀謀反に協力したとすると、どうでしょうか?
さらに、利三が鍵を握っていたとして、この時、利三がいち早く徳川家康を逃がす手立てを組んでいたとする。後の春日局登用に際し、徳川家康が利三への謝辞としてそれを行なったとしたらいろいろしっくり来ませんかね?
私は最近斎藤利三がいろいろ怪しいと踏んでます。もうすこし斎藤利三について調べたいなと思うんですが、光秀以上に調べる手立てがなさそうで困ってます(笑)
光秀の魅力の一つはやっぱり哀愁ですよね〜(?)。現代サラリーマンの悲哀?アンパンのマーチの歌詞が似合いそうな気がします(←ご存知ですか?めちゃくちゃ悲壮感漂う歌詞なんですよ、これ)♪そうだ!恐れないでみんなの為に〜愛と勇気だけが友達さ〜(笑)


つみれ様

利三には困ったものです。まして春日の局まで考え始めると、家康に「あんたが余計なことするから、ますますややこしくなるだろう!」と突っ込みの一言も入れたくなります。四国の事は何がしかの影響があったでしょうね。そう思います。
ところで、私、滋賀県の住人でして、1時間あれば安土城跡、佐和山城跡、高速を走れば長浜、姉川までも1時間で行くことが出来ます。結構出かけるのです。さくらの季節に安土の山に登り、カミサンの作った握り飯を食べながら430年前に思いを馳せます。
安土の山はたいして高くありません。天主から見下ろすより、もっと高い山から見下ろした方が、はるかに景色も良いでしょう。見晴らしだけで言えば、岐阜城の方が絶景です。そう考えると安土城は下から見上げてこそ値打ちがあったと思われます。大手門から続く大階段。その先にそびえる天主。信長は自分の存在をどうしたかったのでしょうか?
そして、そのことを光秀は理解できなかった。或いは自分の教養と知識の範囲で答えを見つけようとした。なまじ答えを見つけようとしたから苦しんだ。そんな部分も有ったように思います。安土城を見上げた光秀は何を思ったでしょうか、非常に興味があります。

こんばんは!!
私は今、日本史のレポートを書くべく情報収集している大学生です。あまりにも楽しいブログだったのでレポートはほったらかしです。笑 本当に本能寺は興味深いですね。
ところで、本能寺直前に光秀が詠んだという「ときは今天が下しる五月かな」という句をつみれさんはどのように解釈しますか。ただの連歌だという人もいるし、朝廷への警告という人もいるし、信長を討つ決意表明だという人もいて、難しい。。。

レス、微妙に遅れてすみませんm(__)m

>choro様
う、うらやましい!!!
安土城跡!!行きたいです♪っていうか、今年こそ光秀めぐりの旅で安土城にも行きたい!と思っているのですが、choro様はさらに姉川とかまでいけちゃうんですね!!うぅ、姉川まで回る時間はさすがに取れなさそう…。
そうなんですか、安土城ってじゃぁ、そんなに高くないんですね〜。天主からはどんな眺めだったのでしょうね〜。信長気分を味わいたいですね〜。
光秀はきっと、上様を理解しようと必死だったのかも知れませんね。そんな風に悩む姿がまた信長の不興を買ったんじゃないでしょうか…。
そして、絶対利三は調べなおした方がいいと思いますです!!(笑)


>awo様はじめまして!!

日本史のレポート書きあがりましたか?!だめですよ、こんなとこで遊んでちゃ!!(笑)
本能寺は本当に考え出すとあれやこれや止まらなくなってしまいます。
「ときは今」については、私の個人意見は“他意はない”だと思っています。私の中では光秀は風流人ってことになっているので、ここで謀反の決意とか、そういうのを込めたりはしないんじゃないかな、と思うのです。ただ、意識化に謀反という考えがあって、それが作品にふっと表れちゃったってことはあるかも知れませんが、なんか言われているみたいに、「ときは今」の発句で出席者の意図をうかがったりとかはしないんじゃないかとそう思ってます。
うぅーむ、難しいですなぁ!!!

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